January 1.2012
奇跡のおじさん
2012年最初の写真は、工事現場のおじさんとの記念写真。
ではありません。
ここは宮城県の東松島市。
昨年の5月、初めて被災地を訪れたときに、
以前お世話になった海辺のペンションが気になって現地を見に行きました。
この地域も他の沿岸部と同様、津波の被害が甚大で、
かつて訪れた町並みは跡形も無くとても衝撃を受けました。
あれから数ヶ月時間が経ち、初めて家族を被災地へ連れてきました。
今回は、お正月に北海道へ行く途中、立ち寄る形で被災地を見て行こうということで、
朝早く出発し、以前家族でお世話になったこのペンションの跡地を見に来ました。
全く何にもありません。住宅の基礎のコンクリートがここに建物があったことを物語るのですが、現在は人の気配が全く無い荒野と化していました。
名前も判らない、このペンションのオーナーさんの消息が気になっていました。
オーナーさんは、早く着いた私たちを連れて高台の松島湾が一望出来るスポットへ案内してくれたり、牡蠣を死ぬほど食べたいという私たちの要望を聞いて、
本当に美味しい地元の牡蠣づくしの料理を作ってくれたりと、
とても個性的で、思い出深いおじさんでした。
(そして私の箸の持ち方をそれではいかん!と一生懸命矯正してくれようとしました。)
旅先で、度々こういった人のおせっかい(!?)に遭遇します。
しかしそのおせっかいが、人間的なつながりの証でもあり、
それを楽しめるような年齢にもなってきました。
かつて、たった一日訪れただけのこの場所に、
強烈な思い出を楔の様に刻むこととなりました。
しかしこの風景を目前にして、一体どうすればいいのか?
手を合わせていいのか?今はただどこかで生き延びてくれることを祈るだけなのか・・・。
なんて考えている間もなく、大型ダンプカーがゆっくりと私たちの前で止まり、
見たことのあるおじさんが、ヘルメットをかぶって微笑みかけているではないですか。
おじさん。なんで?今ここに???
それ以前に、無事だったのね・・・!
そこからは、おしゃべり好きなおじさん、うれしそうに震災について語り出す。
その日は買い出しで石巻で地震に遭遇したこと。
チリ地震を経験しているので、すぐに山の上に避難したこと。
そして山の上から津波を見ていたこと。
そんなときにも逆に山から降りて行く車がたくさんいて、あれはみんな助からなかったのでは・・。と言う話。
それからは、全く情報がない状態で数日間孤立していた話。
おじさんのペンションの地区は13mの津波が来たと言われ、(下の写真の)松の木の先端の高さまで津波が来たという話。
おじさんは、仙台で県が借り入れた住宅で暮らしているという話。
仙台でがれきの運搬の仕事について、結局また東松島市の現場に来ている話。
大変だったろうに・・・。爽やかに微笑むおじさん。
生きていてよかった。
おじさん自身は生き残ったことが奇跡だったとは言わなかった。
俺はチリ地震を知っているから津波も知っている。
だから平気だった。とあたりまえの様に語る。
だけど、どう考えたって奇跡だろう。
この地区だけでも数百人が命を落としている。
震災の日おじさんが、石巻に行っていた理由は
翌日予約が入っていた、子供会の団体を迎える準備のためだった。
それだけが、翌日で本当に良かった。と言っていた。
おじさん。
たった10分程度の滞在予定の私たちと、仙台から、今日たまたま近くの現場で
通りかかったおじさんが、ここで遭遇する確率って一体どれくらいだろうか?
そんなことを考えると、
これは奇跡ではなく、必然なんだと思いたくなる。
きっと、この世に奇跡なんかは無いのだろう。
今、自分がここにいることにも必ず意味がある。
そして、それを知ったこと自体に価値がある。
おじさん。ありがとう。