海を見ていた午後
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ちょっとした所に、全く違う世界がある。
このバスケットボールのフェンスの向こうはアメリカ。

いやいや本当に治外法権。アメリカ軍の施設。
ダイナミックな建物は、昔の競馬場の観客席の跡。
日本の競馬の発祥地。
根岸の森林公園に読書に行った。読書の秋ですから。

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秋は心なしかセンチメンタルなんです。
そんな気持ちで、ここで24年前、私は読書をしました。
発売されたばっかりの「ノルウェーの森」の上巻を
前日バイト先で読んだあと、
続きは森で読もうと思って。この森林公園に来ました。
そしてここの木陰で「ノルウェーの森」の下巻を読みました。

そのときの自分には、この作品ちょっと甘過ぎたシロップで頭が痛くなるような。
だけど、空と緑と秋の涼しい風がやけにリアルで。
ああ、自分はこれだなって感じたのを覚えている。

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帰り道、山手のドルフィンを横目で見ながら
根岸の山の手を下って行く。

工場地帯と遠くの海を横切るタンカー
ああ、俺の感性ってユーミンと一緒?って、
ユーミンに感化されてるだけじゃん。

でも、あの時も私が唯一リアルに感じたのは、
誰もいない、山の手の昼下がりの、
遠くのサイレンと、工場地帯の低いうねり。

自分の存在がちっぽけとかそんなんじゃなく、
自分の存在とかそんなものはどうでもいいんだなって、
そんな風に感じて救われたあの感覚は何だったのか?

そして、この前の週末、それを明らかに思い出した。
あの感覚。
そろそろきちんと説明できなきゃな!って思う反面。
それももうどうでもいい事なのかな?
とも思う。