若さのカタルシス

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ボランティアによって得られる「する側」のカタルシスについて。
「受ける側」が置き去りになっているという批判もある。
ボランティアすることにより、社会貢献という満足度とそこでの出会い。
そういった物のなかで、受ける側が置き去りになっているというのだ。

だけど、そういった意見がボランティアの敷居を高くし、
気軽な参加を拒む要因なのでは?
私も実際に参加してみるまで、おっかなびっくりだった。
それだけ特殊な世界になってしまっているのかもしれない。

だけど実際参加してみて、楽しいし面白い出会いも沢山あった。
だけど被災者の方が置き去りになっているとは思わない。
家族を亡くした方の前で、笑いもするし、冗談も言う。
だけどそれが不謹慎だと思わない。
当然配慮は必要だが、普通でいいんじゃないかと思う。
普通で居ることが、私たちが出来る最大の配慮では?

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作業が終わった後に被災地を見に行った。
不謹慎だなんて考えるのはやめた。
自分が実際に見に行くことが大切だ。
そして多くの人が、実際に自分の目で見て感じて、
それでどうすればいいかを考えればいいと思った。

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ボランティアに参加したメンバーが集う、
というより入浴しに来る日帰り温泉(ニセモノの温泉だが凄く暖まる)で、
みんなといろいろ話す。

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(仲良くなった二人。奈良の椎茸農家の岡本さんと会津若松の加藤さん)

全員に共通しているのは、じっとしていられなくて来ちゃった!という所。
ある人は仕事を2週間休んじゃったり。
信州大学のヒッチハイク部(!?)の学生はヒッチハイクをしながら。
西本願寺のボランティアチームもいました。


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放射能がどうだってあんまり関係ない。
というか、きちんと予防をしながら。
心配なら誰かしらが持っているガイガーカウンタをチェックしながら。
保健所でスクリーニングしながら。
(私の体の数値は最大0.3マイクロシーベルトだった。
手前のプリウスの会津若松の加藤さんに誘われて来てみた。)

若さのカタルシスは批判されるべきではない。
ボランティアに参加することによって、私たちが救われているのは明らか。
お手伝いすることによって、私たちががんばれって言われている気がした。
「がんばれ!」って言いに行って「がんばれって言われて」
沢山エネルギーをもらって帰って来た。
でもそれでいいじゃないか!と思った。
そのエネルギーはまた別の形で、被災地へと転嫁されていくに決まっている。
そうやって、もらって、与えて、その繰り返しで
私たちみんなで生きて行けばいいと思う。