June 10.2011
KAMAKURA 1984
最近、たまたま藤原新也の著書を読んでいる。
「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」
「何も願わない、ただ手を合わせる」
「渋谷」
つい先日、この三冊を読み終えた。
これらに共通して語られているのは「こちら側」と「あちら側」について。
だけど、本当はどこがこちら側で、どこがあちら側なのか?と考える。
上の写真は、初夏の陽射しが眩しい鎌倉の海岸のスナップ。
私は1984年頃、この海岸線にある学校に通っていた。
普通に考えると楽しげな「湘南」のキャンパスライフを送っていた筈だが、
実際はそうでもなかった。
楽しげなキャンパスライフには全く興味なく、
イギリスのインデペンデント音楽やアングラ演劇にのめり込んでいた。
普通に勉強して進学するつもりなど全く無く、全ての大人や社会をバカにしていた。
かといって、反戦運動などに参加するわけでもなく、戦わず、尾崎豊をバカにして、
他人にもあまり興味が無かった。
だけどしんどかった。自分の居場所がほとんど無いようにに思えた。
そんななか、数少ない、ひととき安心して自分を置ける場所があった。
藤沢の雑居ビルの屋上への踊り場。
ここからは藤沢の中心部が一望することができた。
そして誰も人が来ないので、遠く町の雑踏を聞きながら、町で知り合った数少ない友人といっしょにそこで何時間も過ごした。
暮れ行く町の雑踏を、全能の神にでもなったような気分で上から俯瞰して見ていた。
「庶民ども!しっかり働きたまえ」って。
非日常的な「リアル」な時間。そんな「リアル」な時間が当時の私を救ってくれた。
でも結局は退学もせず卒業した。所詮、一時的なエアポケットのような時間を過ごしたに過ぎないのか?
その頃、よく読んでいたのが村上春樹の小説だった。
大人になってから、いとこの非行少女を家で預かったことがある。
私がいとこの長男なのでなんとかしたかったが挫折した。
非行少女は去って行ってしまった。
そのとき私は明らかに安全地帯である「こちら側」から彼女に接していた。
そんな「リアル」じゃない、大人である私に何かが出来る筈が無かった。
彼女は心を開かずに「あちら側」へ深く潜り込んでしまった。
原発の事故に関して、
村上春樹は、もうこんなことが起こらないようにと私たちの倫理を問う。
藤原信也は、避難地域に入り衝動的に自ら財布の中身を被災者に差し出す。
どっちが正しいか、間違いかでは無いだろう。
でも意思表示も大事だが、時にはシンプルな行動も必要かもしれない。
少なくとも、非行少女はもう帰ってこない。