R45〜月曜日と雨の日には
JR気仙沼線志津川駅は港から500mくらいの距離にある。
この駅から港までのエリアが、いわゆるこの町の市街地である。
その市街地を国道45号線が横切っている。
この国道45号線は北上すると気仙沼、大船渡、陸前高田を通り
八戸までの海岸線の町をつないでいる。
南下すると、石巻、松島、塩釜をぬけて仙台市内まで行くことが出来る。

仙台から三陸にかけては、小さいけれど美しく個性的な海岸が続いている。
好きで過去に何回か旅行で訪れたことがある。

旧志津川町(現南三陸町)を訪れたのは何年前のことだろうか?
まだ子供が生まれる前なので、おそらく20代の中盤から後半の頃だと思う。

新幹線で仙台まで行き、そこからレンタカーで気仙沼の宿まで海岸線をドライブした。
松島で観光をしながら、雲丹丼を食べるために国道を少し外れて、女川の町を訪れた。
女川の港にある「おじか」という店で昼食を食べた。
港の大衆食堂と言った感じの決してきれいなお店ではなかったが
調理場ではお店の子供なのか、高校生くらいの子供も一緒に
採れたての雲丹を一つ一つ割って、丼の上に盛りつけていた。

これが今まで私の人生の中で一番美味しい食べ物だった。
これ以上に美味しい物を(それまでも、その後も・・)食べたことがない。
これを食べた時点でこの旅行は大成功であった。

この女川町には立派な観光センタがあり、
となりに何だか町とは似つかわしくない立派なミュージアムがあった。
それはそれは異常に近代的で大きな建物。
そしてそのとき初めて、この町に原発があることを知った。

そこからさらに北へと車で走って行き、気仙沼から船に乗り大島という大きな島へ渡った。
しかし、その日気仙沼で泊まった宿の料理は不作・・で、おまけに夜から大雨だった。
次の日、口直ししよう!と気仙沼の寿司屋を捜したが
月曜日なので、どこの寿司屋も休みだった。
仕方が無いのでとりあえず出発することにした。
気仙沼を出るときには既にお昼だったこともあり、
車を走らせるとたちまちおなかが減ってきた。
しかし、国道とはいえコンビニすら無いこの街道に飲食店が有るはずも無く
困っていたときに、通りかかったのがこの旧志津川町(現南三陸町)だった。

しかし町とは言えど繁華街など無く、シャッターが閉まったままのお店や
朽ち果てそうな飲み屋の看板がぽつりぽつりと有るだけである。
港の方へ行けば何かあるんじゃないかと思い港の方へ行くが、
やはりそこも閑散としていて、飲食店など有りそうも無かった。

しかし、一カ所だけ「寿司」と言う看板を見つけた。
「寿司」の下に「ラーメン」って書いてあったのがちょっと気になったが、
空腹には耐えられず、そのお店に入った。
店の電気は消え、カウンターの上には新聞紙や雑誌が無造作に並んでいる。
当然客は誰もいない。

「すみませ〜ん」
「・・・・・・」
「すみませ〜ん」
「・・・・・・」

しょうがないので席に座って、あたりの様子をうかがう。
ここは本当に寿司屋なのか?
ラーメンもある寿司屋というのは地方では珍しくない。
しかし、この店は半分は寿司屋だったが、
店の奥にはステージが有り、赤いベルベットのソファーが並んでいた。
天井からはシャンデリアまでぶら下がっていて、
つまり店の半分がカラオケスナックになっていた。

「すみませ〜ん」

店の奥から眠そうなおやじが出てきた。寝ていたのだろうか?
私たちは寿司を頼んだ「上寿司 \1,200」。
結果、そんなに美味しくはなかった。
でもそんなにまずくはなかった。
でも店の半分はカラオケスナックだった。
途中でちらりと店の奥さんと思われる女性が出てきた。
おそらくママだろう。
若い頃の淡くせつない思い出である。

三陸にはそんな思い出が有る。
女川は美味しすぎる雲丹丼と原発の町のいびつな繁栄。
大雨でよく覚えていない気仙沼、寂れた港町の旧志津川町(現南三陸町)。

今回の震災で、崩壊した町の様子を見る度に心が苦しい。
南三陸町で1万人の安否が確認できていない。
女川町で数千人の安否が判らない。

女川の「おじか」も旧志津川町(現南三陸町)の半分スナックの寿司屋も
港からすぐ近くにあった。
どうか、出会ったみなさん無事でいてほしいと思う。
無事でいることを祈っています。

今、私たちが出来ることは、おそらく何も有りません。
だけど、
これから春が来て夏が来て秋が来てまた冬が来て、いつかみんなが少し落ち着いた頃。
私たちは、必ずまたそこへ行きます。
ボランティアや支援と言う形でで行けるかどうかは判りません。

だけど必ずまた行きます。何の役にも立たないかもしれないけど、
会って「元気ですか?」ってそれだけを言いに行きます。
皆さんが、笑顔で暮らしているのを見に行きます。
またおいしい雲丹を食べに行きます。
もっとおいしいものがあればたくさん食べに行きます。

何にも出来ないけれど、それが私たちからの唯一のメッセージ。
必ず会いに行きます。何度でも会いに行きます。

絶対に会いに行きます。